JAZZ特集

本日はカウントベイシーを特集します。

ビッグバンドの巨人ですが、日本の人気はさほど高くなかった記憶があります。

理由の一つとして、日本人の誰もが知っている曲がなかったのが考えられます。

「ワンオクロックジャンプ」があるだろう?と言われるかも知れませんが、

エリントンの「A列車」やベニーグッドマンの「シングシングシング」、グレンミラー「ムーンライト」みたいな曲ではなかったのではないでしょうか。

またベイシーの写真はやたら「笑顔」が多く、これがモダンジャズファンにあまり受け入れられなかったと思います。

私は、1982年、1983年の2回講演に行っています。84年に亡くなっていますので10回ほどの来日公演の内の最晩年の講演になりますが、ステージを観てビッグバンドの豪快さより非常に緻密な構成でプレイするのに驚いた記憶があります。

PAはベイシーのMC用とボーカル用のみ。非常にシンプルなステージですが、独特の緊張感の中にもゆとりの表情を時々表す楽団員のプレイには見入ってしまいました。

ベイシー楽団のピークはベイシー本人も言っているように、50年代のヴァーブ、ルーレット時代(ニューベイシー)と言われています。

本日は、そのピーク時の演奏もおかけしますが、晩年のパブロ時代の隠れた?名作「WARM BREEZE (81)」を中心にお届けします。

写真は82年83年の来日プログラム、80年のパリ公演の映像です。来日プログラムの内容が色んなエピソード入りで面白いので、よろしければお読みいただきます。

本日の特集は#トニーベネット

1926年生まれですから91歳になります。

私の記憶では、トニーベネットは日本では「通好み」で、レコード時代は日本でそれほど売れませんでした。

日本で売れるきっかけは、1990年代のMTVアンプラグド。その後2000年代のデュオアルバムの企画が当たってからだと思います。

イタリア系アメリカ人らしく、豪快な歌唱法が魅力ですが、ビルエヴァンスとのデュオアルバムのように抑えた歌唱法も出来る器用な歌い手です。(ちなみにビルエヴァンスはトニーより3つ下!)

私は1981年のフェスティバルホールの講演に行った記憶があります。それが下記のパンフとチケットの写真です。

この時の集客はさっぱりで、半数以上が空席でした。また来られていたお客様の大半はチケット購入者ではなく、JALの招待客でした。(私は1Fの最前列)

でもステージは手抜きなく、笑顔を絶やさず豪快に歌う姿に結構感動したものです。

ウィキペディアでは来日公演は1989年から記載されていますが、この1981年講演は3回目で、1968年、1971年に次ぐ10年ぶりの講演となります。

彼は、当時のパンフに「私の歌でひと時でも夢を与えられたら」と書いています。まさしくそういう所が彼の最大の魅力だと思います。だから彼は自分の納得出来ない曲は歌いません。徹底したプロ根性が彼を長年支えていたのだと思います。

本日は最近のデュオアルバムよりは、50年代~70年代の曲を中心にお届けします。

「エラフィッツジェラルド」


代表的な女性ジャズボーカルの一人です。

プロとしてのデビューは1934年で、亡くなる1996年までほぼフルで活躍していましたので、作品、楽曲の数は膨大です。

彼女が一躍有名になり、ジャズボーカルの名盤となったのが、「エラ・イン・ベルリン(マックザナイフ)」です。

その名の通り、ドイツ、ベルリンでのライブなのですが、彼女は、「三文オペラ」内の「マックザナイフ(独語でメッキー・メッサーでこのオペラの主人公の名前)」を歌ったのですが、これが大評判。その後の彼女の代表曲となります。

彼女の歌の特徴は声質と言うより歌唱法の凄さと思います。

ビッグバンドで歌うアップテンポな曲でのスキャット唱法は計算されたものでなく、「ノリ(アドリブ)」で出来る唱法です。

また、バラードで使うスキャットは、音程の使い方が絶妙で、またそれが聞き手に難しく聴こえないのも特徴と言えます。

晩年は糖尿病で苦しみますが、1973年のニューポートジャズでのライブは見事。執念みたいのを感じます。

また「ベルリン」と同時期に「JATP(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)とのライブでのオペラハウス」(写真)、初心者でも聴きやすい「コールポーター作品集」などは特におすすめです。 

「MJQ、モダンジャズクワルテット」

日本人が大好きなジャズコンボです。

メンバーは、ジョンルイスP、ミルトジャクソンvib、パーシーヒースb、コニーケイds(初期はケニークラーク)。

ジョンルイスのクラシカル調のピアノ、編曲とソフルフルでブルース調のビブラフォンのミルトジャクソンとの掛け合いがこのコンボの魅力です。

有名な楽曲は、ジャズギターのジャンゴラインハルトに捧げた「ジャンゴ」。

その後、フランス映画のサントラを作ったりして彼らは本領発揮します。アルバムとしての名盤は、フーガの技法を使った「フォンテッサ」サントラ盤の「たそがれのベニス」(「大運河」サントラ)です。

また、解散前の「ラストコンサート」は演奏もいいですが、録音状態もすこぶる良く入門盤としても使える名盤です。

ジャズは難しいと考えらえているポピュラーファン、ちょっとうるさく感じられるクラシックファンにも楽しめるコンボではないでしょうか?

「ジョージベンソン」

ボーカリストのイメージが強い方もいらっしゃると思いますが、バリバリのジャズギタリストでデビューします。

ジャズギターの巨人ウェス・モンゴメリーの再来と言われたのですが、実際モンゴメリー死去後、同じレコード会社CTIでレコーディングし、一躍注目されます。

日本で有名になったのは1976年の「ブリージン」。タイトル曲もヒットしましたが、2曲目の「マスカレード」でボーカリストとしての実力が発揮されます。作曲はレオンラッセル。でもヒットさせたのは、このベンソンとカーペンターズになります。

80年前後のディスコブームで音の傾向を変えます。プロデューサーにマイケルジャクソンをプロデュースしたクインシージョーンズを迎え、当時のR&B色を全面に出しますが、これが正解。大ヒットします。

ウエスモンゴメリーのギターテクニックとナットキングコールのボーカルテクニックを併せ持つ非常に器用なアーティストです。楽曲もオーソドックスなジャズナンバーもポップなバラードも何でもこなします。

ウエザーリポート。

1971年~1986年まで活動していたバンドです。

当時はフュージョンのカテゴリーに入れられていましたが、前衛ジャズの影響を色濃く反映したバンドでした。

コアなメンバーは、ジョー・ザヴィヌルとウエイン・ショーター。他の楽器奏者は目まぐるしく変わります。

初期の他の主要メンバーは、ベースのミロスラフ・ビトウス、パーカッションのアイアートモレイラ。黄金期と言われる時期はベースのジャコ・パストリアス、ドラムスのピーター・アースキンがいます。

ビトウスが抜けてからはファンクな音に少し変わっていきますが、基本的なサウンド構成は変わりません。一番の特徴は、宇宙的なミステリアスな音世界です。当時は下手なプログレバンドよりよっぽどロック的とも言われてました。

私は2度ライブに行っています。1980年のジャコ、アースキンが在籍した時と抜けてヴィクターベイリー、オマーハキムがいた時です。

ジャコは天才と言われてましたが、ステージではやはりちょっと奇妙な行動をとり続けていました。

他にない不思議な音作りをしていたバンドですので、今聴いても古さは感じません。

「ゲッツ/ジルベルト」

8月に特集しようと思っていました。

でも、この猛暑、音楽で少しでも涼むことが出来たらと思い特集します。

1963年のアルバムで、このアルバムで全世界にボサノバブームが訪れます。スタンゲッツは白人サックスプレイヤーでモダンジャズと言うかクールジャズとして名が通ってました。

ただ、色々と問題が起こし決して成功しているとは言えない日々を過ごすことになります。

1961年に欧州から米国に帰国後、初めてボサノバアルバムを出します。「ジャズサンバ」です。組んだアーティストはチャーリーバード。これが良かった。ゲッツはこれで息を吹き返し63年にジョアンジルベルド、アントニオカルロスジョビンと組んだ本作が大ヒットすることになります。(代表曲は「イパネマの娘」)

またこのアルバムのエンジニアがフィルラモーン。ボブディラン、ビリージョエルなどの主要なアルバムのプロデューサーです。こういう人が参加していたのもヒットの秘訣だったのかも知れません。

マンハッタントランスファー。

1975年レコードデビューですから、かれこれ42年くらいになります。(マンハッタントランスファー名義では1969年録音で、ジューキンと言うのがありますが、ティムハウザー主体の別のコーラスグループと位置付けました)

1978年までメンバーとして活躍していたローレルマッセがいた時とその後の交代メンバーで活躍したシェリル・ベンティーンがいた時代の音と傾向が大きく変わります。

日本で一躍有名になったのは、西海岸の売れっ子プロデューサー、ジェイグレイドンが参加したエクステンションズ。日本人イラストレーター、タキ・オノとペーター佐藤がジャケットデザインを担当しました。オシャレなジャケットにサウンドも新しい音もふんだんに使用したので、普段ジャズを聴かない若い女性にも人気が出ました。

1970年代後半のコーラスでは黒人のポインターシスターズも人気があったのですが、こう言う企画力がポインターシスターズにはありませんでした。歌の実力では上だったと思いますが。

古いファンは、初期のローレルマッセがいた時の音を高く評価します。ローレルの哀愁を満ちた歌声と選曲にフレンチポップスを取り込んだところだと思います。

3年程前、リーダーのティムハウザーが亡くなり結成当初のメンバーはジャニスとアランだけになりましたが、音に大きな変化はありません。毎年日本で講演もしています。ライブで本領発揮するグループですので、まだ観られていない方は、行かれる価値はあるのではと思います。

#ソニーロリンズ。


 ジャズ界最後の巨人と言われています。1930年生まれ御年86歳。ジョンコルトレーンより4つ下になります。 他のジャズミュージシャンとちょっと違うところは、今まで何度か引退と復活を繰り返しているところです。しかも1度や2度ではありません(笑) では、引退している間、何をしていたかと言うと、アルバイトなどもしていましたが、ひたすら練習を繰り返していたと言われています。 ジョンコルトレーンなどが自分のスタイルに悩んで、モード奏法やフリージャズに傾倒していく中でロリンズはそう言う方向に流れず、引退をするので「裏切り者」と言われた時期も確かありました。 ただ、コルトレーンの繊細なトーンとは違い、乾いていて、豪快、非常に男っぽい演奏スタイルはモードやフリーには似合わなったと思います。 彼の絶頂期は皆さんがよくご存知の50年代だと私も思います。一度目の引退後、クロフォードブラウン(同い年)、マックスローチクインテットに参加した時期のサックスフォンコロッサス、ウエイ・アウト・ウエスト、ヴィレッジヴァンガードライブはありきたりとは言え、やはり代表作になります。 実はコロッサス録音後の数カ月後に盟友クリフォードブラウンは事故死します。この死がある意味、コルトレーンをさらに大きくさせた要因だったと言えるかもしれません。 私が知っている彼の直近のライブは2011年です。演目は代表曲の一つDon't Stop the Carnival です。往年の力強さは確かに減りましたが、基本的なスタイルは変わらずで、音を外すようなミスもないところは、練習の鬼と言われるだけのことはあります。 ビッグトーンで豪快、しかも歌い上げるあのフレーズは今のジャズ界においても大変貴重だと思います。

#ビングクロスビー。

#ビングクロスビー、イコール#ホワイトクリスマスのイメージが強い歌手です。

映画俳優としても有名で#我が道を往くでは神父役で好演し#アカデミー主演男優賞も獲得しています。(主題歌は#星にスイングと言う名曲でアカデミー賞歌曲賞受賞)この映画を観てジャズミュージシャンになった方も多かったです。

#ホワイトクリスマスはその10年後の作品で共演は#ダニーケイ、#ローズマリークルーニー。ローズマリークルーニーはこの共演後クロスビーとの#デュエットアルバムも製作しています。少し話はそれますが、#ジョージクルーニーの叔母が#ローズマリークルーニーにあたります。

ビングクロスビーはその後肺の手術で片肺になりますが、音楽活動は最後まで続けました。晩年で有名なのは#デヴィッドボウイとの共演でしょう。テレビ番組での共演ですが、検索してもらえれば当時の映像も観れると思います。

またクロスビーは刑事コロンボ役も決まっていたと言われていました。結果的に#ピーターフォークがはまり役でしたが。

ポピュラーヴォーカリストとして一般的に名を知られていますが、ジャズヴォーカリストとしてももう少し評価されて良い歌手です。彼が40年代50年代活躍したシナトラなどの白人ジャズ歌手に多大な影響を与えたからです。

#ルイ・アームストロング

日本でも有名なトランぺッター、ボーカリストです。

ジャズの黄金期と言いますか、初期の代表的な演奏者です。

日本では、目を大きく開いてトランペットを吹く姿とか、笑い顔とか、CMで使われた#この素晴らしき世界のイメージが強いと思います。

彼の初期の名演は、1928年の#West End Blues なのですが、彼の師匠とも言えるコルネット奏者の#キングオリバーが作曲しています。この曲、冒頭の#無伴奏のトランペットソロも凄いのですが、後半の#スキャットは誰も真似が出来ないテクニックと色があります。

スキャット唱法がまだ根付いていないこの時期にこのような録音を残すことはとんでもなく凄いと感じますが、この曲はその後彼の代表曲となり、何度か録音を残すことになります。しかしこの1928年版より良い録音は残せませんでした。

そんな彼のまだあまり知られていない名演の数々を今日はお届けします。


#クインシージョーンズ

50歳~60歳台の方には、マイケルジャクソンの#オフザウォール#スリラーや#大島渚監督の#愛のコリーダのイメージがあると思います。

確かに一側面ではありますが、1950年代、60年代はしっかりジャズをやっていました。

#私の考えるジャズは名盤として有名ですし、意外と知られていないのは、#ヘレンメリルウィズクリフォードブラウンのアレンジャーも彼でした。

また、ジャズ以外でも#夜の大走査線#ゲッタウエイ#ルーツのサントラ盤も手掛け、商業的にも成功をおさめます。

マイルスデイヴィスなどジャズの巨人も認めた編曲の能力があったこそ、その後の映画音楽やファンク路線なども実績が残せたのだと思います。